ジャニヲタ文芸部 第1回お題「チケット」
前回は参加させていただき、ありがとうございました。皆様の作品、興味深く読ませていただきました。
今回もよろしくお願いします。
チケット。
今の私にとって、とりわけコンサートのチケットは2次元から3次元への入り口である。
絵箱*1の中でしか常に会うことができない彼らは、私にとって架空の世界である2次元と何ら変わりのない存在だ。
それがこのチケットを手にすることができた瞬間、想像の中の彼らがなんだか急に息づいてくる。
たとえドームというとてつもなく遠い場所でしかその存在を確かめられないとわかっていても、彼らが同じこの時間に存在する人たちであることを確かめに行こうとしてしまう。
かつて、ドームのはるか彼方から彼ら*2を見下ろしたことがある。
ドームの中にまで設置されている巨大な絵箱の中に彼らはいる。
この絵箱の中で彼らはいつもと同じ笑顔を向けてくれる。
遠くに備えられた、ごく限られた空間にはホンモノの彼らがいるらしい。
でも、自分の目で見た彼らは点の集合だ。
本当なのかもはやわからないけれど、それが替え玉だってわかりはしない。
でも、私より遥かに近くにいる人びとはそれを疑ってはいないようだ。
喧騒の中に現れる希少な野鳥を探すかのように、双眼鏡を覗いてみた。
そこには、絵箱と同じように、私にとって彼らだと信じている姿が映し出される。
でも・・・レンズというフィルターを通した彼らは、本当の姿をしているようで、本当の姿なんかではないようにも見える。
次こそは彼らをこの現実の世界、自分と同じく今を生きている存在だと感じるために、チケットという名の、その儚い紙切れに全てをあずける。
私の願いなど何も知らない振りで、その紙切れは手を離れてどこかへ飛んで行くかもしれないのに。
そして、手にした者も、手にできなかった者も
またせいいっぱい手を伸ばすのだ。
終~了~!!
今回はコラムのような感じにさせていただきました。
チケット・・・それは申し込む前も申し込んだ後も心をかき乱されるものです。
ただただ当選メールが届いてくれることを待つことしかできない。
自分からはどうあがいてもそれをコントロールすることはできない。
そして、それを手にしても満足の行く距離で彼らを見ることができるとも限らない。
会場のモニターを見ても双眼鏡を見ても、TVを見てるいつもとなんら変わりない気もするな、という戸惑いを持った経験から書いてみました。
どんなチケットを手にしたなら自分は満足できるのだろうか?
そんな時が来るのか、来ないのか。全くわからないです。
今年も数多くのチケットが届き、その反面手にできず涙にくれた方も多いかと思います。
チケットを巡ってたくさんのドラマがあったことでしょう。
私もその一人です
どうか、ジャニヲタの皆様に、チケットとともに多くの幸せが訪れますように。